下諏訪宿・・・JR中央線/下諏訪駅
茅野駅〜上諏訪駅・・下諏訪宿・・万治石仏・・下諏訪駅〜
街道は山裾に添って上り下りしたり、くねくねとカーブしながら、諏訪大社に向かっているが、遠回りだし、面倒な登りと下りがあって、なぜ楽に歩ける諏訪湖の湖畔を進まなかったか。
疑問が湧いてきた。
もしかして湖畔の道はぬかるんで歩けなっかたのか。など想像できるが、はたして?
諏訪湖は地殻変動で作られた湖で、今は水深が5m程度である。
中山道の和田峠と甲州街道の富士見峠など、周囲の山から流れ込んだ水は、諏訪盆地を作り
諏訪湖の西側の岡谷から天竜川となり流れ出ている。
以前は南側の(釜無川)が出口であったが、近くの八ヶ岳からの土石が食い止めてしまい移動したようで、その頃の諏訪湖は水面が高くて、今の諏訪湖の数倍の面積で、湖面が丁度甲州街道あたりだったのだろうか。
街道筋の神社や諏訪大社の上社の2社と、下社の2社は入口が同じような海抜になり、湖面が今より20mも高く、海抜は790mではないかと予測されている。本当かな?
街道脇に湯気が出ているタンクを時々見かけた。諏訪の豊富な温泉が家庭に配られているらしい。切り株のイスで休んでいると風呂の道具を抱えたおじさんが来た。「風呂ですか。」と尋ねると「会費を払うと鍵を渡されていつでも入れるよ。ほぼ毎日来てるが、家が山の上で、風呂に来る時は降りで楽だが帰りで汗をかいてしまい、今は車で来てるんだ。」「お若そうですね。」
「若い女の子が沢山いる職場だったので・・・。」なんとうらやましい。
甲州街道の終点の石碑は「下諏訪宿 甲州道中・中山道中合流之地」と書かれてある。ここで
近くに来たバスガイドさんに写真と撮ってもらい、諏訪大社春宮へ向かった。合流地点を越すと中山道になり、(中山道)の立て札だ。手前の甲州街道には立て札は無く、不案内であった。
パワースポットの万治の石仏で旅のお礼と次の街道歩きの安全を願い3周り、慌ただしく諏訪の町を離れた。
2015/9/18