奥州街道Ⅱの旅

20:伝法寺宿・藤島宿


伝法寺宿・・・南部バス(十和田市中央)/伝法寺バス停

藤島宿・・・・南部バス(十和田市中央)/藤島バス停



<伝法寺宿・藤島宿>


五戸〜扇田バス停・・五戸宿・・伝法寺宿・・藤島宿・・三本木村(十和田)(泊)


 旅館の前から八戸行きのバスに乗車したが昨日の場所まで戻れるだろうか。

バス停の名前が見つからない。路線を間違えたか不安だ。

 

 五戸方面にあったバス停は八戸行きにはないとのことで、一つ手前のバス停で降ろされた。

わずかな距離に五戸行きのバス停があった。4号線に作られた駐車スペースで、反対の車線は崖になりバス停を作る場所はないのが原因か。

 

 脇道に奥州街道の立て札、二手に分かれた道、一方は舗装道路、砂利道は上り坂になる。街道なら砂利道だろうと進むと人家の庭に入り込み、舗装道路に戻って歩いた。

 

 左手は田んぼで畦に三角形の白旗がいく本も刺さしてある。旗に地主の名前と地名が描いてあり、豊作祈願なのか、上下を逆に取り付けてある。

 道路の半分まで占領した草に日焼け前の薄茶色の赤トンボを発見した。

 

 舗装道路が消えて丁字路の道標は左に進む方向を示している。案内通りに進むと森の中に入る道だ。元の道に引き返すと背の高い草に隠れた道標だ。

 森の中の道は浅水宿につながる奥州街道なのか。

 

 舗装された急坂を登ると、砂利道になり右手に土砂崩れを防ぐコンクリート擁壁が現れた。

森の街道を抜けて4号線を越したあたりから景色が変わり五戸町に入った。

 

 歴史みらいパークの広い敷地と斬新な建物は不釣り合いに感じられる。

機械を操作して南部センベイを焼いている姿を覗きながら急坂を下る。

 

 青森の気温に慣れたのか蒸し暑い。

時折吹く風に両手を広げて生き返り、また蒸し暑さに耐えながら歩く。これの繰り返しだ。

 

 道路脇のブロック塀に腰掛けてコンビニ弁当に食らいついた。

そこは明治天皇が草取りを眺めた場所の記念石碑があるところだった。

 

 木に囲まれた喫茶店がある。店内は暗く、よく見ると食事をする姿だ。薄暗い奥に部屋があり大きめの長テーブルと椅子が雑然としている。奥から女将が登場した。

「街道歩きの人が時々来ますよ。自転車で回っている人が2回も寄ってくれました・・・」

 コーヒーの香りが消えないうちに、猫に見送られながら旅を再開した。

 

 伝法寺宿は4号線から右に分かれる街道になり、伝法寺を探すと代わりに(光明寺)があった。

川に削られた崖と、複雑な流れと、国道で奥州街道は途切れていて、見つけにくいところだ。

 

 道の駅で休憩して、脇道に入ると、偶然か立入禁止の立札を手入中の人に出会えた。

「この道が奥州街道ですか。」「そうだよ。すぐそこが分かれ道になり右に行くと旧4号線に出て、左は行ってないからわからないね。」「十和田市になると道標がないので困ってます。」

「十和田市は最近できた町で宿場はなく街道に興味が薄いかな。昔は原野で雪が積もると・・・」

立ち話は続いてしまった。

 

 奥入瀬川の手前に藤島宿があったそうだ。

御幸橋を渡り、地図に書いてもらった土手の道を進んだ。

 突然に大粒の雨が降って来た。雨支度をしたが坂を登ったところで止んでしまった。

 

旧4号線の歩道歩きで、ホテルまでは一時間以上はかかりそうだ。街灯を頼りに歩き続けた。

2019/7/22


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