奥州街道の旅

6:白河宿〜矢吹宿


(昔話集)・・天栄村



根田宿・・・JR東北線/久田野駅

小田川宿・・JR東北線/白河駅   福島交通/小田川入口バス停

太田川宿・・JR東北線/白河駅   福島交通/小田川入口バス停

踏瀬宿・・・JR東北線/矢吹駅から徒歩

大和久宿・・JR東北線/矢吹駅から徒歩

      天道念仏踊り(6月)

中畑新田宿・JR東北線/矢吹駅から徒歩

矢吹宿・・・JR東北線/矢吹駅

      やぶきフロンティア祭り(9月



〜白河駅・・根田宿・・小野田宿・・太田川宿・・踏瀬宿・・大和久宿・・中畑新田宿・・矢吹宿(泊)


 街道奉行が管轄した奥州街道は白河宿が終わりで、その先はおよそ600kmで青森まで続くが地図は乏しいく、これからは街道歩きの経験が活かされそうだ。

  

 阿武隈川を渡ると峠の登坂だ。日陰を見付け一休みしたが、小さな峠を下った所にあるだろうと車のエンジン音と共に歩を進めた。草に覆われた中にそれらしい石碑の頭が見えた。

イネが伸び始めた小さな田んぼとこんもりした森が続き、時折涼しい風が送られてきた。

 草は歩道の僅かな隙間に生え、コンクリート壁に付いた泥を頼りした草もある。どれも小さな花を咲かせている。都会では雑草は邪魔者扱いされ除草剤で枯らされる運命だろうか。

 

 奥州街道への分かれ道にコンビニとソバ屋だ。背負ったお握りは夕飯にまわして、手打ちソバのノボリに誘われて小さなソバ屋にお邪魔したが、味の薄い(ソバ汁)だった。残念。

 

 お米を保管する土蔵だろうか、風が通る仕組みなのかな、屋根が白い土壁から離れている。

大きな建屋の農家が続き、先の大地震で傾いたままの家や屋根瓦が落ちたままの家もある。

 

 白河ダルマになる大小様々な白いダルマが納屋と部屋に所狭しと積み上げてあった。

4号国道に出る交差点。喫茶店でのコーヒータイムが歴史の講義タイムになってしまった。

 

 「商社にいたが親に引き戻されて、喫茶店を始めた。今日は月曜で休むはずが・・」

趣味は絵画から陶器、本業は現地の歴史調査なのか。いままでに書かれた資料が次々出てきた。寺の柱に鉄砲玉が残っていて戊申戦争の証拠とか。テレビで(八重の桜)が放映されたときには取材が有った。などの話は尽きない。お客さんが来たので3枚の名刺をもらいそそくさと脱出した。

 

 松が茂った涼しい街道に変わり、左手の小高い所に五本の松がまとまって生えている。

このあたりの地区を(五本松)と言うらしい。周りにも赤松があり松茸が出そうだが。

 

 珍しく一対の一里塚が街道の両端に残っていた。松林を抜けると熱い太陽が照りつけてきた。お寺さんだろうか木陰に誘われて一休みだ。風が吹き抜けて涼しい。10分ほどウトウトして再び街道歩きに。矢吹駅はまだ先なのか。

 

 矢吹の駅舎は奇抜なデザインだ。宿はこの駅の近くだが電車で白河駅に戻ることになる。

駅のエレベーターに乗り込むと「上り黒磯行きが参ります。」のアナウンスが聞こえた。

 この電車を逃すと1時間待たねばならない。駆け足、階段を駆け下りる。電車がきた。

ぎりぎりタイミングで涼しい車内へ。14分間の電車旅で6時間かけた歩き旅の出発点に到着した。

2016/7/11



大型双眼鏡の矢吹駅



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