中山道の旅

39:草津宿


草津宿・・JR東海道線/草津駅

     宿場まつり(4月)


〜守山駅・・草津宿・・石山駅〜


  中山道歩きを始めたときに買った靴は、四国遍路や、板東観音巡礼を含めると千キロほど履き混んで、そのためか靴底は斜めにすり減り、ゴアテックスの効果はなくなり、足を痛めていた。

思い切って靴を新調しての歩き初めが今回の旅で、心地よく歩きができそうだ。

 

 昨日の長旅も快適に過ごせたし、足にマメが出来なかった。やっぱり靴は大切なものだった。だが連れ合いの足が不調だ。少しの距離なら歩けたが、外反母趾で靴に当たる部分が痛いらしい。事前に絆創膏を貼ったり、靴下を2重履きして、ごまかしての歩きだったが大津の手前になり歩けない状態が襲ってきた。持ち歩いてきたストックにすがることになり、石山駅から帰宅することになった。

 

 草津宿は東海道と中山道の分岐点で、京都まで約26kmの地点だ。健脚なら一日で京都に行ける距離。駅前を通る道は土手に遮られ、トンネルをくぐると大きな道標が現れた。中山道はここで終わりだ。巨大な石造りの追分道標に(右 東海道いせみち、左 中仙道美のぢ)と彫られ、上部に灯籠が乗っている。

 

 昔は土手道を行くと東海道で江戸へ、川を越すと中山道だったが、川は上流からの土砂で天井川になり草津川を別の場所に移動させた、と道標脇の案内場の話だ。

 

 草津宿の本陣は是非見学を、との勧めで入場料を払った。

部屋数がなんと40近い巨大な建物で、国の史跡であった。現存する最大の本陣屋敷であった。

 

 中山道が東海道になっても相変わらず狭く、車がないだけ歩きやすいが、住宅地の中ではここはどこと聞きたくなる。

 

 頼りの道標はなく、わずかな登りと下りを繰り返し、右に曲がりだした。

朱塗りの欄干があり、ここでトイレタイム。(建部大社)を左に見てその道を進むと記憶していた。運悪く道の角にある石塔に崩れた文字に左東海道とあった。細い道に入ると確かに建部大社は左側に、坂道を登ると新幹線高架、子どもを連れた人に聞き、道を引き返すことになった。

 

 あの道標を右に行けば近くに(瀬田の唐橋)があったのだ。今日は石山駅で帰ろう。もうふらふらだ。

2014/3/25



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