〜浦和駅・・大宮宿・・上尾宿・・桶川駅〜
浦和駅から桶川駅までの18Kmはほとんどが市街地で、中山道の名残はなく、急速に都市化されていて、与野駅前に中山道と交差する所に大きなケヤキがあったが、ロータリーになった。
そのケヤキは平成20年に伐採されてしまった。推定300年だと言うことだ。
貨物の操作場があった場所は、高層ビル群に変わり「さいたま新都心」だ。
そこを過ぎると氷川神社への参道になり、凡そ2Kmの真直ぐなケヤキ並木が続いている。
人と車で騒がしい大宮駅付近を過ぎて、中山道は北に向い、すこし登り傾斜になってきた。
中山道の道標は上尾に入ってからで、コンクリート製の小柱に書かれている。
それもペンキがはがれてきて、中山道への思い入れが失われるのかと心配になった。
桶川宿は江戸からおよそ10里、たいそう賑わった宿場であった。紅花の産地であることからも隣接する上尾宿とは倍ぐらいの規模の差があり、江戸から1日で来られる宿場なので飯盛り宿も多くあった。今では所々に昔の面影が残り、旅籠だった武村旅館は国有形文化財に指定され今でも営業している。
歩き始めの頃は10kmを進むのがやっと、今は倍の20Kmは自信が付いてきた。
歩くと様々な人との出会い、旅人からはこの先の街道の状況を教えあったりする。
街道歩きとは江戸時代の出来事を想像して歩き、残された建物から時代の変化を感じられる。
また、立て札の説明を読んだり、本陣跡と彫られた石碑に足を止めたり、更にこの場所に再び訪れる機会はないと思い、記憶に留めながら歩きつづけるのだ。
地方により屋根飾りの違いの発見や、歩いている道は街道なのか、この先にトイレがあるか、とか
昼飯は食べられるだろうか、などなど楽しい出来事が次々とやってくるのが街道歩きだ。