中山道の旅

1:中山道を出発


(昔話集)・・板橋宿五つの昔話

     



日本橋・・東京メトロ銀座線/日本橋駅

板橋宿・・都営三田線/板橋区役所前駅

     農業まつり(11月)



〜日本橋駅・・板橋宿・・板橋区役所前駅〜


  金環日食を確かめたくて早めの起床、少しずつ月に隠されてゆく太陽の姿をテレビ画面と見比べながら、空を見上げたり、テレビで観測したりして、美しい日食に感動した。

   太陽は丸い輝きを取り戻し、街道道歩きに出かける絶好の日和になった。

 

  日本道路元標。橋の上に高速道路が走り、空が覆われて開放感は全くないが、

日本橋は欄干に麒麟や獅子の像が施され、この橋の上の道路は全2万kmのアジアハイウェイ1号線の起点でもあり、道路の出発点にふさわしい橋なのだ。

 

 神田駅ガードを抜け、秋葉原の電気街を避けて中山道は左折、神田明神に向かう。

 

 東大赤門を過ぎると17号線の標識はあるが、自動車の流れは少なくなった。

日陰を歩かないと暑い日だ。ビルと家ばかりの東京は緑の風もなく、鳥の声もしない。

家の軒先に植木鉢の花が咲いていた。小さな自然を楽しんでいるのかなあ。

 

 江戸大火事で16歳の八百屋お七が、避難先のお寺で一目惚れし、再建した家に戻るが、忘れられない初恋の人になり、火事になれば会えると信じて放火、鈴ヶ森で火あぶりの刑になる。

 

 このお七の供養寺のほうろく地蔵のお堂には積み上げた素焼きのほうろく皿と千羽鶴があり、首から上の病気を癒すとされて、その御利益は?禿げた頭と物忘れに効いて欲しいと願ったが・・・。

 

 中山道は巣鴨の商店街に入り、年寄りの集まる町で、私たちは堂々と歩ける歳になった。

とげぬき地蔵にお参り、蒲焼の匂いが漂い、心が乱れ、ご利益は少なくなったかも。

 

 板橋宿が最初の宿場、街道歩きはここまで。時間が許せば蕨宿まで行きたい気分だ。

名前の起源は、板の橋が架けられていたとか、今はコンクリートの板を模した橋で

 初期の場所からは移動した、と観光センターの説明だった。

2012/5/21



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