甲州街道の旅

13:教来石宿・蔦木宿


JR中央線・富士見駅

教来石宿・・JR中央線/韮崎駅

        山交タウン/下教来石下バス停

蔦木宿・・・JR中央線/信濃境駅から徒歩



〜下教来石下バス停・・蔦木宿・・富士見駅〜


 下経来石を過ぎると肝心の曲がり角に目印になりそうな物はなくて、地図に描かれている石仏や神社、お寺を手ががりにしたが、間違って曲がり角に入ってしまうことも覚悟だ。

 

 その中で「明治天皇」が休憩したとか、水を飲んだところとかの石碑が目立つ街道だ。

「明治天皇」はこの付近を明治13年(1880年)に29歳の時にここに立ち寄ったそうだ。

天皇様は歩いてきたか、馬で来たかは不明だが強行軍だっただろうな。

 

 山梨県から新国界橋を渡ると長野県に入る。橋のたもとに富士川と釜無川と二つの看板が有り

川は二つの名前があるらしい。長野県に入ると蔦木宿で江戸時代の名残の建物なのか、数軒の家が壁でつながっている不思議な光景だ。

 

 小休止していると、地図を片手にザックを背負った三人組のおばさんの登場だ。

街道歩きですか、と尋ねると東海道と四国も歩いた猛者も混じり、今日は富士見駅までで帰宅するとか。我々も同じ駅で茅野泊まりですよ。と話し、負けないように歩き出した。

 

 この付近の街道も国道を縫うように進む間違いやすい場所だ。目印は見つけにくいし、先ほどの旅人達も迷っているのか、川の向こう側、国道を歩いている姿があった。

旧街道を忠実に辿らなくても目的地に着けば良いのだ。

 

 ここの栗は大きいぞ。あそこに車にひかれて中身がペチャンコになっているのもあるぞ。

イガを靴に挟んで剥くとゴローンとした褐色に輝く実が飛び出した。かなりの量を収穫できた。

これなら栗ご飯が食べられそうだ。

 

 街道に面したガラス戸に(ここは甲州街道です。)と書いた紙が張ってある。道路にも(甲州街道)の小さい立て札があった。この付近は街道を歩く人がいて、道をたずねる人がいるのだろう。

 

 街道は真っ直ぐに行くはずだが、工事現場に遮られていた。富士見駅は右の道を辿り丘を越えた向こう側になる。下校時刻にぶつかり元気のいい学生達が「こんにちわ」と挨拶して行った。

2015/9/16



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