東海道の旅

20:八丁味噌の重石


(昔話)・・おんたけ池



岡崎宿・・名鉄名古屋線/東岡崎駅

     岡崎城下家康公夏まつり(8月)

 



〜美合駅・・岡崎宿・・知立(泊)


 今回は岡崎から知立に進み、渡し船の発着場まで東海道を行って、近くの熱田神宮に参拝し、桑名の宿に向かう電車を途中下車して(なばなの里)のイルミネーションを見学、翌日は四日市まで進む贅沢な旅になった。3日間の歩行距離は50kmになるかも。

 

 雨が新幹線の窓を叩いていたが豊橋駅に到着する頃には止んで、車内で準備した雨装備を急いで脱いだが、気温が20度近りになりそうでダウンジャケットは不要かもしれない。

 

 土埃の関東から離れて、美合駅から湿気を含んだ空気を肺に入れて歩み始めた。土地柄なのか正月飾りを玄関先につるした民家が沢山あって、地元の人に聞くと忘れたのか、それとも面倒なので外さないのでは。との回答だが隣も飾っているから家でも・・かな。

 

 松並木が残る街道は1号線に出て、道しるべはインターを地下道で抜けるコースを案内している。

交差点の角にマックの店だ。ソロソロ飯時だ。この先には食事処が無いようだ。

コーヒーで膨らんだお腹を抱えて岡崎の街に向かった。

 

 「岡崎宿27曲がり」のスタートは公園を突っ切る案内だったが、肝心の道路標識を見落としたのか街角で立ち往生になる。どうにか立派な道標を発見したが、すでに半分を過ぎたようで(る)の文字が書かれていた。

伝馬通りに出ると道の両側に小さな石像が出現した。

 この石像が江戸時代の道標として旅人を案内していたのか、複製品だが石像の意味が看板に書かれてある。

 

 今までの道標は大きく目立つ物で次の曲がり角までの距離と方向が書かれていた。やがて、その看板も小さくなって電柱にくくりつけた物に代わり方向表示はなくなってしまった。

 

 どうにか1号線に出て、(中岡崎駅)近くの踏切を越すと「八丁味噌」の看板が現れた。八丁味噌は甘いし、高いよ」との声と工場見学する時間が無いし諦めたが、どんな味噌なのか

 

 折角のチャンス、お土産品を買うことにして工場に立ち入った。大きな工場だ。味噌の香りが漂う薄暗い土間にガイドの人が出ていて、売店のある場所に案内された。

 

 一抱えもする重そうな丸い石が月見団子のように大きな桶の上に積まれている。3トンあるとか。石の重しを乗せてから2年間熟成している味噌樽だ。江戸時代からの樽もまだ現役とか。

 

 この工場を偶然に宿のテレビで放映していた。岡崎城から八丁離れた場所で作っているとか。

耳かきほどのスプーンで試食の味噌を味わった。

 出汁を入れてあるような美味しさと香りが口いっぱいに広がった。この味噌でおでんを食べさせてくれた。八丁味噌は高級料理店で使われると聴きながら、期間限定の味噌を買うことにした。

 名古屋名物の味噌カツはこれを使っているのかな。

 

 矢作川の橋に槍を持つ大人とその足元に子供の石像だ。蜂須賀小六と日吉丸との出会い場面を想像して作られたようだ。

 

 1時間ほど1号線の歩道を行き、旧道を右に入り、ここでも狭い街道を頑張って走る車に驚きの連続だ。道の両側に町工場が並んでいる。トヨタ自動車の部品を作っているようだ。

 

 鉄さびが付いた作業服の姿、同じ物を毎日作っているのだろう。感激だ。

 まだまだ続けたい街道歩きの旅は費用を節約したいので、今回は宿の高価な夕食は避けて近くのコンビニで弁当を買うことにした。あれこれと選んでいる間に外は暗くなっていた。

2017/2/23


次は何処の宿場へ