浜名湖・・舞阪宿・・浜松宿・・天竜川駅〜
朝食は浜名湖が見渡せる13階だ。中国からの団体さんは2階の食堂に案内していた。遠州灘に架かる(浜名大橋)が見え、手前は鉄道橋だ。オモチャのような新幹線が走っている。
バイキング式で食べられる程度の料理を選んだが、かーちゃんは体重維持を目的にしたようだ。久しぶりに本格的なリゾートホテルで広くて落ち着かない部屋と寝返りしても落ちない幅広ベットで熟睡したのか、それとも歩き疲れて爆睡したのか。
ホテルから浜名湖の縁を巡って街道がある弁天島駅に出る4kmの歩きから始まった。
浜名湖は汽水湖でウナギの養殖が盛んな時期があり、いまは養殖池は大規模ソーラー発電所にかわり、僅かにノリ、牡蠣、スッポンなどが養殖されている。
アサリが多量に取れた事があった。幼い頃に母親に連れられて潮干狩りに来た覚えがある。港には一人乗りの漁船だろうか何艘もつながれ、看板に「貸出用」とあり、釣り船もあるらしい。
新幹線と在来線を潜り、弁天島駅から旧東海道に出て、天竜川駅へ東に向かう歩きになった。
江戸時代の街道は浜名湖の向こう岸の新居宿まで6kmを船で渡り、街道はここまでである。
渡船場からの街道は東に向けて僅かに曲がりながら少しずつ登り続け、浜松宿に続いている。
街道の両側は新しい家だが、古い作りの家が残り、舞坂宿は大きな宿場であったのだろう。
建て替えられた「脇本陣」だ。バスで来たり、街道歩きに興味が出たのか増えてきた様子だ。
植え替えられた700メートルの松並木が有り、370本が直線に並んで中央に車が通っている。
昔は1420本の松並木だったらしい。どうせなら歩行者専用道路にしてほしかった。
数本の松並木とか、一本だけの「名残りの松」が根元をコンクリートで覆われやっと生きている。後いつまでこの姿をとどめていけるのだろうか。幹に触れて「ガンバレ」と声をかけてやった。
東海道のほぼ半分まで来たが、中山道などのと違いは、江戸時代の風情が残されていない。他の街道と違って人の往来が激しくて、時代の変化に応じたからなのか、また復元する努力が見られるが、各地区がバラバラである様な気がする。
浜松宿までは緑を見る機会がない政令指定都市になっていた。幅の広い歩道は良く整備されているが日陰はない。天気予報では曇りで午後は雨のはずだ。
バンダナの布きれでは強い日差しをはげ頭から守れず、今までに無い感覚が襲ってきた。おそらく脳みそが暑くなりだしたのだろう。近くの涼しいコンビニに避難して正気に戻せた。
麦わら帽子を被っていれば、と思ったが予報では雨のはずが・・・。
京都に向かう旅人と会えた。ストックを握った一人旅の女性は実家の名古屋まで一日30kmを歩いているらしい。二人組の女性は地図を片手に浜松駅を目指していた。
2016/6/29