奥州街道の旅

2:氏家宿〜喜連川宿


(昔話集)・・喜連川のむかし話

     ・・堂原・将軍地蔵



氏家宿・・・JR東北線/氏家駅

喜連川宿・・JR東北線/氏家駅  東野バス/喜連川本町

      喜連川天王祭(7月



〜氏家駅・・喜連川宿(泊)


 長年、旅を共にした相棒の傘の代替えをやっと購入したが、急いで買ったので前が見えない白いビニール傘だった。これなら車から目立って安心して歩けると期待した。ほとんどの車は歩道の姿を早めに見付けてセンターライン寄りに車を避けてくれる。

 

 ところがこれとは真逆にわざと水たまりができている歩道寄りにコースを変えて水しぶきを上げてきた。「バァアカー」と走り去る車に叫んでみた。    きっとあのドライバーは子供の頃に水たまりで遊ぶと親にしかられたのだろう。ここで敵討ちだろうな。

 

 氏家駅は予定よりも1時間早い9時だ。昨日までの秋晴れはどこに行ったのだろう。

幾度か「バァアカー」と叫んだ道からは離れ、関東平野はここでお仕舞いになり、木が生い茂る坂道を進んだ。峠ではないがゆるい坂道で足に力が入る。

 

 早乙女温泉が坂の途中にあって、日曜日の今日は駐車場が満車になっていた。かすかな硫黄の匂いがしてきた。この周辺に温泉が湧いている場所が数軒あり、千メートルほどをくみ上げているようでかなりの高温のようだ。近くに火山は無いがどうして温泉が出るのだろうか。

 

 予定していた道の駅に行けば昼飯にありつけるだろうと、近くの堤防にいた人に尋ねることができた。「次の橋を渡って右にあるよ。入口に2軒食事処があるがそこのは旨いから行ってみたら。」「何をしているのですか。」とたずねると「何処で釣れるか見ているんだ。もう鮎は終わりだがね。」

 

 「あそこの展望台はこの間の地震で壊れて今は立ち入り禁止だ。富士山が見えたよ。

その時にあそこの崖も崩れて、この間の雨でも酷かった。この川もぎりぎりまで水が来て、

何カ所かで危なかったよ。いま鮭が卵を産んでるけど見ないかい。」

 

 雨で山の姿はないし、足元の水たまりと向かって来る車に気を付けながらの歩きでは周りを見る事も少なくなり、ひたすら歩いた。

 時には木々に覆われた坂道を行き、その先に刈り取り終えた田んぼがあった。

秋はまっただ中、ゆずの黄色い実と柿の橙色の実が花のようだ、軒先に干し柿だ。

塀の上にカリンの実を丁寧に並べた家があった。

 

 奥州街道に面した宿がなくて、大田原市が造った宿を予約した。最寄りの場所に迎えに出ます。との返事があった。

 目立ちやすい場所を探しながら進むとコンビニだ。この先に進みみたいが、雨空で薄暗くなり、ここで迎えを待つことにした。宿までは6kmはありそうだ。

 迎えの車はかなりの距離を行った。こんな所にしゃれた大きな建物が。宿代は足りるかな。

2015/11/8



次は何処の宿場へ