〜二本松駅・・二本柳宿・・八丁目宿・・浅川新町宿・・金谷川・・金谷川駅〜
7月末に歩いたときは猛烈な暑さだったが、今日は時折日が射す曇り空で、街道歩きには
最適な季節、外気温度は20度程度だ。菅笠を忘れて来たが曇り空なら要らないかも。
秋雨前線が来て、明日は雨になる予報だが大雨にならないことを祈って二本松駅から16km先の金谷川駅に向けていざ出発だ。
5分ほど行くと急坂を登ることになった。距離は短いが軽トラが思いっきりエンジンを吹かして登ってきた。坂を降ると人だかり、「女と男の未来館」でイベントがあるようだ。
街道は右に曲がるが、その角でお揃いのジャンパー姿の老人達がホイッスルを配っていた。奥州街道はこの道ですか。とたずねると「あそこに見えるのが(霞ヶ城)で、すぐ下が街道だったが、江戸時代に移設されて、ここの道が奥州街道に変わったようだよ。」
もう少し話を聞きたかったが、次々に来る人に配るのに忙しそうだ。
歩道を進んだ街道が急に広くなり、電柱もなくなり、別の町になったようだが、ここも震災で破壊されて道路と建物も造り替えたのだろう。
街角に(智恵子)の文字が現れ、誕生した家は造り酒屋で「米屋」の大きなノレンがある。再建された室内には古い道具や機織器が展示されていて、入るのに410円は勿体ない
街道は丘を上り下り、稲穂が重たそうに垂れた田んぼが、こんもりとした森に囲まれている。道端に黄色やピンク色にコスモスが咲いている。秋色が増すといよいよ雪の季節になるのかなあ。
八丁目宿に入った。珍しく宿場の姿を残している。
宿場の道は直線道路になっていて、周囲の家に旅籠屋の木札が下がっている。
祭が近いのだろうか、テンテコテンドドンと軽快な響きがしてきた、街道奥の家からだった。幾人かの子供が叩いていて、それを見守る指南役の後ろ姿があった。
街道は丁字路になり、そこに出来たばかりの白木の東屋があった。トイレがあれば最高だな。
松川駅が近いらしく、1949年に列車が転覆した謎の事件現場がこの付近だ。
街道から逸れて、金谷川駅に向かう坂道、ハナミズキの街路樹が色づきはじめ、道路脇のススキ、真っ赤なサルビアの花、紫色のクズの花は大きな葉っぱをかき分けて咲いている。
福島大学が近くで学生相手の集合住宅が目立つ駅だ。
2016/9/11