奥州街道Ⅱの旅

25:青森宿


青森宿・・・奥羽本線/青森駅

青森ねぶた(8月)

油川宿・・・津軽線/油川駅

(民話集)・・青森県の民話



<青森宿>


羽田〜三沢〜野内駅・・青森宿・・油川駅〜青森(泊)


 甚大な被害をもたらした台風19号の去った2日後の出発になり、五街道最後の旅になる4日間は晴れの予報が出ていた。

 

 羽田から三沢空港の便は定刻出発のはずが、操縦室でトラブルが出て整備員が点検する事になり30分の遅れで出発した。定刻に到着していれば野内駅で昼頃になる予定だった。

 

 三沢駅で昼飯を食べたいが周辺に何もなく、自動販売機で長期保存アンパンを購入する事態で、駅のベンチでむせながら食す事になるなんて。

三沢基地があるので駅には外国人の姿。駅の西口は再開発中だし、近くの飲食店は休業。

東口は広場でその先に川があり、丘を登るとソバ屋があるらしい。

 

 三沢駅から青い森鉄道で一時間、野辺地や小湊、浅虫温泉の駅を懐かしく通り過ぎ、ヒイヒイと越えた峠はトンネルで抜けて野内駅に到着した。

 

 ピッピーと小鳥の声がスピーカーから流れる野内駅を歩き始めたのは12時を過ぎていた。

しばらくは県道を青森駅に向かっての歩道歩きで、住宅が増えだした。

 都市部の歩道は繰り返された工事でガタガタになり、しかも車道側に傾斜して歩きにくい道が続き、足首に痛みが出て来た。

 

 合浦公園の松林から子供の声と軽快な音楽が流れ、(青森秋まつり)のイベントが行われていた。

合浦をなんと読むのだろう「アウホ」か「ゴウウラ」ではシックリしない。「ガッポ」と読むのか。

 公園を横切る街道脇に黒松の老木だ。根元から3本に分かれ、枝は杭で支えられている。

 

 莨町小学校の文字がまた読めない、交差点か電柱にローマ字表記を探したがない。

帰宅後に調べるとタバコの商いをしていた町で(多葉粉町)などと表記されていたようだ。

 善知鳥(ウトウ)神社も読めなかったぞ。

 

 海側に巨大な三角形の建物、青森のAをかたどったとか。名前もアスパルとユニークだ。

青森駅前はホテルが立ち並ぶ都会だが、駅舎は2階建ての細長い建物で目立たない入り口を入ると、券売機と改札機が数台あった。

 改札のすぐ前に登り階段があり、反対側は土産売り場になっている。

 

 奥州街道は駅反対の西口方面から続いていて、斜路を巡りながら登り、跨線橋を渡る。

橋の下は連絡船につながるレールが今でも海に向かい、正面に道路橋と昔の連絡船がが見える場所だった。

 

 今日の目的地はまだ5km先の油川駅だ。

青森駅の西口は静かな住宅地になり、街道は北西に伸びている。

 いくつかの川からは青森港の海が間近にあった。

 

 2016年10月に訪れた福島県の桑折宿から480kmの羽州街道との合流地点の石碑だ。

 

 暗くなった油川駅に到着した。野内駅の出発の遅れを取り戻そうと頑張ったが飛行機の影響は続いていた。

夕方は無人駅になる油川駅は片側だけのホームで、屋根だけの待合場所に網が張ってある。

 虫除けではなさそうだ。明朝に調べてみよう。

 

 JR津軽線は青森駅へ。「次は終点青森です。」のアナウンスが懐かしく響いた。

2019/10/14


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