奥州街道Ⅱの旅

9:金ヶ崎宿〜黒沢尻宿


金ヶ崎宿・・JR東北線/金ヶ崎駅

      食楽まつり(11月)

鬼ヶ崎宿・・JR東北線/六原駅

鬼柳宿・・・岩手県交通国道北線/鬼柳本町バス停

黒沢尻宿・・JR東北線新幹線/北上駅

      北上みちのく芸能まつり(8月)

(昔話)・・坊主石



<鬼澤宿>


<黒澤尻宿>


水沢〜金ヶ崎駅・・鬼ヶ崎宿・・鬼柳宿・・黒沢尻宿・・北上駅〜


 水沢駅から金ヶ崎駅まで東北線を利用、昨日のバス停から北に向かって街道歩きはスタートした。

駅前通りの交差点を越すとバス停があったが、一休みできる場所はなく昨日のバス停が正解だ。

 

 金ヶ崎宿の町並みはすぐになくなり、街道は右の下り坂をゆく。

街道の脇に白い柱があり、奥州街道の文字だ。

 

 時々民家があり、軒先に黒くなった干し柿がブラさがっている。隣のは干したばかりだろうか黄色の柿だ。庭先に小さな柿の実が沢山ついたままの木がある。

 

 街道に直径が1メートルを超える大きな切り株が残る一里塚跡だ。樹齢は400年を超えていたとかで長い間旅人を見つめ案内していただろう。

 

 民家が無くなり林に囲まれた道に「300m先行止り」の道標と左矢印に国道4号線と出ている。

舗装道路はまっすぐに続いているので、車だけが通行できない道なのかもしてないと進んでみた。

 道路は途切れて、窪地になり、森が塞いでいる。旅人が歩ける道はありそうだ。

鬼ヶ崎宿があったところだが何も無い場所になっている。

 

 山道を行けば森を抜けて北上に行けそうだ。待て、昼飯には時間があるがお腹から注意シグナルが発せられた。街道歩きの経験から発せられたものだ。「この先に食べる場所はないよ。」

 

 六原駅に出れば飲食店はあるはずだ。

民家と畑の間の狭い道を通り、東北線の花沢踏切を渡り六原駅に出た。

 寂しい駅前通りだ、朽ちかけた商店が数件あるだけだ。

 

 国道に出ればあるかもしれない。助かった。ラーメンのノボリが出ていた。

食堂の前は製紙工場だ。遠くから見えた白い煙と、独特の匂いの源だった。

 

 工場のフェンスを回り込んで街道は国道から離れた。フェンスの中に紙の材料の木のチップと材木の山だ。

踏切を越すと下り坂になり奥州街道の木札だ。

 

 右の矢印方向は行止りが出ていた森の方角を示し、左は田んぼに下る道を示している。その先は北上方面に行けるだろうか。田んぼの街道に白い柱があり道標らしい。

道標に従って田んぼをゆくと白い柱に奥州街道一里塚跡と書かれていた。

 その先に道標はなくて北上川の土手にぶつかるようだ。

 

 左の道を行くと、先ほど別れた道路に出た。

まだ田んぼの向こうに土手があり新幹線の長い鉄橋が現れた。

 

 一時間ほどの直線道路だ。住宅地に入ると新幹線と東北線のガードで街道は急に西に向かった。

この辺りに鬼柳宿があり、関所跡が残っている。

 

 道は北に続いている。北上の街は北上宿はなくて黒沢尻宿である。

傘の出番はない雨だ。北上の街で食事処が見つかるまで何もなく、腹シグナルは的中していた。

 

 西の空に黒雲が垂れてきて、もうじき長い雪の季節を暗示している。

街道から500mほど入ると北上駅になる。まだ2時前だが今日の予定地の村崎野駅までは一時間半、およそ8kmだが天気が気になり、北上駅で中断することにして、早めに帰宅だ。

 

 すでに東京行きの新幹線はホームにいて通過列車待ちの状態だった。急げば乗れると階段を駆け上がり、自由席の先頭車両へ急いだ。発車してすぐに気がついた。スタンプ帳がない。

 荷物を2度も広げて探した。無い。北上駅のスタンプ台に置いたままだったかな。

2018/11/28


水沢駅

鬼柳関所跡



次は何処へ