会津への道

8:会津城


(昔話)・・足長手長



〜芦の牧温泉・・会津城・・会津若松駅〜


朝から霧雨が降り、大粒にならないことを祈りながら会津城を目指した。

 

 芦ノ牧温泉からは幅の広い歩道が整備されていて、楽な下り道がまっすぐに続いている。

 

 黄色と青色の絵の具を混ぜ、黄緑から萌黄色などそれぞれ違う木々の葉を描けそうだ。そして紅葉に染まる秋は黄色と赤色の絵の具だけで描けただろう。

 雨雲は山々を潤し、薄いベールを羽織らせ、東山画伯の絵を鑑賞しているようだ。

 

 「芦ノ牧温泉駅」のネコ駅長に会いに角を曲がった。

 小さな商店が並んだ門前町の風情で、正面に駅があり大きく引き伸ばしたネコの写真だ。制服を着けた初代駅長と現役のらぶ駅長にヘルメットを被ったぴーち施設長だ。

 駅前は満開の八重桜だ。たくさんの乗客たちは駅の売店に群がっている。

駅長の姿がない。昨日夜勤で疲れていると、駅員さん説明だ。駅長帽子を着けてゲージの中で昼寝中だった。

 写真撮影のフラッシュで初代駅長は目を患ったとかで撮影は禁止だった。

 

 昼飯の時刻になったが食事処か民家がない、人もいない。雨宿りできそうな庇付きの廃屋があった。長椅子が道路側にあって、どうぞおすわりと誘っていた。昨夜の宿で出がけに頂戴したオニギリを食すことにした。

 大葉で巻いた小さなオニギリだった。腹は満たされない。

 

 4kmほど行ったところに南若松駅があり近くにレストランがあるはずだが、そこまで腹は待ってくれない。

ラーメンのノボリが目についた。小さな蔵で営業しているようだ。

 食堂の雰囲気はまるでない。蔵の周囲が雑然としているが、ここで食べないと空き腹を抱えてフラフラと歩くことになりそうだ。

 入口を入った途端に黒ずんだトラの縫いぐるみに驚かされたが、店内はススだらけで黒ずんだ得体の知れない物が所狭しとばらまかれ、すぐ脱出するか、ラーメンを食すか、

 減った腹が決意を決めた。

 

 明治11年(1878)に英国の女性旅行家イザベラ・バードが会津道を進んだ時代から140年経過しているが煤けたこの食堂の雰囲気は当時とあまり変わっていないようだ。

 

 歩道は北に進んで、会津盆地に向かって少しずつ下り坂になってきた。はるか遠くに会津城の天守閣を見つけた。あそこまでは4kmありそうだ。

 

 車が増えだして、会津の市街地に到着だ。天守閣は建物の隙間から確認できた。雨が降る会津城は緑の桜に覆われていた。

2018/4/24


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